歴史と伝統を今に語り継ぐ「薩摩の小京都知覧」

知覧武家屋敷とは
The Chiran Samurai Residence
The Chiran Samurai Residence
約260年余り前、知覧領主(18代)島津久峰時代の武士小路区割の名残りで、
武家屋敷通りと屋敷庭園が保存されている風致地区
武家屋敷通りと屋敷庭園が保存されている風致地区



女ヶ岳の優美な姿を借景とし270余年もの歳月を経て、ここ南九州にて歴史の息吹を今に伝える、薩摩の小京都「知覧武家屋敷群」。江戸時代、薩摩藩は広大な領地を外城と呼ばれる102の地区に分け「麓」といわれる武家集落を作り、城下町鹿児島に武士団を結集させることなく分散して領地を統治しました。ここ知覧も代表的な「麓」である知覧麓武家屋敷群は、薩摩の麓の典型的な作例であり、折れ曲がった本馬場通に沿って連なる石垣と生垣からなる景観に優れております。昭和56年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。知覧地区には7つの庭園が優れた意匠で構成されています。また、琉球等庭園と通じるものもあり、貴重な存在であるとして国の「指定名勝」に指定されました。


奥に築山を設けそびえるような立石を主軸に枯滝を組み(森重堅氏庭園は池泉式庭園),石組みを配し,また石塔や石灯篭を配し,背後を大刈り込みで,さらに外側を波状生垣で修飾すること,さらにまた生垣には,茶・イヌマキ,大刈り込みにはツツジ・サツキ,庭石には凝灰岩を用いること,そして各戸の石垣・生垣は連続し美しい町並みを形成していることなどが特徴として挙げられます。